Profile



吉川 英志
Hideshi Yoshikawa


Chronological table〜年表〜

1987年 京都に生まれ大阪で育つ
2006年 関西外国語大学外国語学部スペイン語学科入学
2007年 スペインマドリード州アルカラ大学に留学(1年間)
2009年 夜間にインテリアの学校HIPS大阪校に通う
2009年 リビングスタイリスト2級取得
2010年 関西外国語大学外国語学部スペイン語学科卒業
2010年 大東建託株式会社入社
2011年 静岡県でインテリアショップ立ち上げ参加
2016年 四国お遍路歩いて巡礼(1200km)
2016年 絨毯販売店にて住み込みで働く
2017年 株式会社inie japan設立




About all of Yoshikawa
吉川のすべて


1987年10月2日午前3時に母の実家である京都府の福知山という田園風景の広がる田舎で生まれました。
育ったのは父親の地元である大阪です。

病弱だけど元気な幼少時代

家の中でゲームをするよりは、外に出て走り回る方が好きで、同じ場所でじっとするのが苦手な落ち着きのない子供でした。
私はアレルギー体質で、アトピー・喘息などの持病がありました。
ただ、運動は好きだったので、体育は1回も休んだことはないですし、マラソン大会も毎年参加して常に学年の10位以内でゴールしていた記憶があります。喘息持ちにはマラソンは地獄です。走っている時はなんともないのに、終わった後は気管支が炎症を起こし、息ができなくなります。また、小学校の4年生なった頃には、春季カタルという重度の結膜炎でまぶたの裏が腫れる病気にかかり、最寄りの眼科に行っても治らず、小児科の先生に新しい眼科を紹介してもらい診断を受けた時「このまま放置していたら失明していました。」と言われたぐらい重症でした。角膜に傷が付き今でも右目は少し見えづらいですが、その程度ですんで良かったなと今は思っています。
子供時代は病気持ちだけど元気な子供でした。

将来の夢

私の部屋は和室で、ずっと布団で寝ていたのですが、ハウスダストからくる喘息を和らげるために、ベッドを使用するようになり、畳も埃が立つということで、ホームセンターでフローリング材を買って来て敷いたりして対策していました。
今思うと、こういう事をしているうちに部屋のレイアウトを変えることの楽しみを覚えたのかも知れません。
中学校に入ると、お年玉でソファとローテーブルを買い、持っていた洋服ダンスはスプレーを買って来て塗装したり、取手を付け替えてリメイクしたりしていました。このときに、こんな楽しいことを仕事にできたら最高だなと思うようになったのです。
そして、この頃に将来はインテリア関係の仕事をすると決めたのです。

新たな生活

高校から私立に行きました。同じ中学からその高校へ行ったのは私一人だったので、友達作りもゼロからのスタートで、部活も中学校3年間やっていた野球を辞め、部活案内で見た先輩の演奏に感動し新たに軽音楽部に入部しました。何もかもが新たなスタートでした。バンド活動では、ベースを担当し、一時期はバンドを3つ掛け持ちしていました。
また、高校は私服登校で、幼稚園から中学校まで制服だったので、その反動もありオシャレをすることにも目覚めました。音楽・遊びに明け暮れた3年間はすごく充実して楽しく、今でも仲良くしている友達はすべてこの時に知り合った仲間です。

失敗と経験

大学受験には失敗して、浪人生活をおくりました。
しかし、二度目の受験も失敗。第一志望の大学には行けず、滑り止めの外国語大学スペイン語学科に入学しました。この学部は、スペインが好きとかサッカーが好きとかではなく、「ここなら受かるだろう」という考えだけで決めたため、授業には全く興味がなく授業にもついていけず、最下位のクラスで毎日が苦痛でした。
ある時、家族でスペインの旅行番組を見ていた時、父が「スペインに行ってきたら?遊びに行くからガイドしてくれ」と言う何気ない一言で、私は1年間スペインに留学することに決めたのです。 海外に行くのはこれが初めてで、スペイン語はもちろん全く話せない私は、クラスやホームステイ先に全く馴染めず最初はYOUTUBEが友達でした。しかし、徐々に友達が増えていき、友達が増えることで話す機会も増えスペイン語も一気に上達しました。スペインでは10カ国以上の人と出会い、価値観の違いや歴史の違いを学び、時にはアジア人差別にあい、そして通り魔にもあったこともありました。ここでは詳しく書かないですけど、、スペインではいろんな体験をし、すごく濃い1年間を過ごしました。日本にいたら絶対に体験できない経験をさせてくれた親には大変感謝しています。
そして、留学に行ったおかげでクラスも最下位からトップのクラスに入ることができたのです。

出会いと夢への一歩

就職活動では、今後インテリア関係で独立することを考えハウスメーカーに絞って面接を受けました。2社から内定をもらう事が出来、そのうちの1社のハウスメーカーに入社し、一か月の研修を経て、静岡県浜松市に配属されました。そこで後に働くことになる、インテリアショップのオーナーと知り合ったのです。それは運命的な出会いでした。そのオーナーが独立をするために物件を探しに来たのがきっかけで、私は担当者として案内させていただきました。案内中いろいろな話をしていく中で、自分の夢への気持ちが高ぶり、その日の夜に、オーナーに「一緒に働かせてください」と電話をかけました。それからハウスメーカーはすぐに辞めインテリアショップで働くことになったのです。



手織絨毯との”出会い”と”決意”

インテリアショップで働き始め、2年が経った頃、展示会でギャッベに出会いました。これが初めての出会いです。そして、お店にギャッベやキリムを展示する事になりました。正直、最初は「なんでこれがこんなに高いの?理解できない、、」とか「富裕層の人しか買わないでしょ!」って思っていたんです。だから、始めから魅力に取り憑かれたとか、見た瞬間にビビッときたわけではなかったんです。取り扱うからにはお客様に説明できる知識が必要です。そして、勉強を始めました。勉強を進めるうちに少しづつ絨毯というものの魅力がわかって来たものの、まだ「欲しい!」「使いたい!」っていう気持ちにはなりません。その頃、よく行く服屋さんやカフェ、ファッション誌で手織絨毯が撮影セットとして見かけるようになってきたのです。「欲しい!」と思い始めたのはこの頃からです。すごいミーハーですよね。単純ですよね。笑
でも、そうゆうものですよね?
「欲しい!」「使いたい!」っていうきっかけはみなさんこんな感じだと思うんです。その商品の背景やストーリーから、特徴、歴史、こういったのはすべて後からで、まず「かっこいい!!」っていう感情が先行するのではないかなと思います。
それから、どんどん絨毯の魅力に引き込まれていったのです。
ラグは消耗品だけど、手織絨毯違う。掃除の手間もはぶけるし、古くなったら捨てるのではなく、使い込んでいくと魅力が増していく。よく考えるとデメリットは金額だけ。その金額も寿命から計算すると、安価なラグを買い換えて使うよりずっと経済的なのです。ハンドメイドで1枚1枚丁寧に織られた絨毯は強度が強く、さらに流行りに流されず、伝統を受け継いだデザインだからこそ長く使っても飽きないんです。よく考えて買ったからこそ大切にする。そして、世代をまたいで引き継げる。おじいちゃんが使っていたモノとか、親が使っていたモノを受け継いで使うときってすごく大切に使うと思うんです。こういうのって素敵ですよね。
そして、このモノを大事にする想いをもっと日本に広げたいと思い、独立を決意しました。



遊牧民に会いに

独立するにあたり、ギャッベやキリムを織っているカシュガイ族に会いたいという気持ちが湧いて来ました。
しかし、私にはイラン人の知り合いがいなかったので、インスタグラムを活用することにしたのです。呼びかけたところ予想外に多くのカシュガイ族と知り合うことができたのです。カシュガイ族もインスタグラムをやっているんです。ビックリですよね!そして、連絡を取り合い実際に会いに行って来ました。
遊牧民のテントはもちろん、街で生活しているカシュガイ族の民家にも泊まらせてもらいました。
詳しい内容は、ブログでご覧くださいね。